こんにちは!本日、チーズ知識7回目になります!7月に入ったら僕が務める保育園はいよいよプール開き!ってなるはずでしたが、曇りが続き、なかなかプールや水遊びが出来ないのが現状です。1日でも早く梅雨明けし、日光が照らす明る日差しが出てくることを切に願っています♪海にも行きたい!さて、それでは、チーズの文化史中編になります♪一緒にお勉強していきましょう!




だいちだいち

お疲れ様!!今週もチーズの歴史だよっ

りゅうじりゅうじ

了解。チーズって本当に古くからあるんだね

だいちだいち

そうだよっ。ちゃんと覚えて、その頃の情景を思い馳せながら食べるなんて素敵でしょ?

りゅうじりゅうじ

それ、かっこいい!!

だいちだいち

でしょ。知的で素敵な大人になりたいよね!!
では今週は古代ローマ時代の話からはじめるよ!




④古代ローマ

古代ローマの建国はB.C.735年と言われているが、それ以前に現在のトスカーナ地方周辺にはエトルリア人が土着していた。
エトルリア人は家畜を放牧し、金属の道具を用いて生活を営んでおり、すでにチーズの製法を知っていたと考えられているとのことです。
古代ローマ人はギリシャ文明を師と仰ぎ、エトルリアの文化と融合しながらイタリア独自の文化を育んでいったそうです。
共和制ローマの執政官も務めた大カトー(B.C.234〜B.C.149)は、自身の【農業論】でチーズ製造と豚の飼育に言及しているそうです。
チーズ製造中にでるホエーを豚に提供するアイディアは21世紀の現在でも各地で行われている。
また、同じ【農業論】の中で大カトーは、神様へ捧げるものとしてのチーズケーキや、チーズを使ったその他の菓子についても言及しています。
この頃ローマではチーズの事をCaseus(カゼウス、またはカセウス)と呼んでいた。
現在のスイスでは当時カゼウス・ヘルヴェティクス(caseus helveticus)と呼ばれるチーズが造られていたそうです。
その後、共和制ローマは周辺地域に対して影響力を持つようになり、西ヨーロッパ周辺地域に軍隊を派遣しローマ帝国が築かれるようになりました。
派遣された兵士達は行く先々で道と町と農耕地を拓き、ローマの文化を未開地に根付かせたそうです。




⑤中世

フランス最長のロワール河流域では、732年のタトゥール・ポワティエ間の戦いの際にイスラム軍が置いていった山羊を飼育し、チーズを造るようになったという。同じく8世紀、フランク王国のシャルルマーニュ(カール大帝742〜814)が活躍する頃から、現在のチーズのもととなったチーズ名が少しずつ現れていく。774年にはロックフォール、800年にはブリをシャルルマーニュ(カール大帝)が食べたという話もあるようです。マンステールは855年に修道士の手によって、ゴルゴンゾーラは875年には同名の村で造られていたそうです。
封建制度の下で西ヨーロッパ各地に広がった修道院は、周辺領民に対し信仰はもとより社会生活においても指導的な役割の立場にあったとのこと。修道士たちは修道院内部や周辺各地にチーズの製法を伝えていったそうです。修道院に由来するチーズはエポワス、マロワール、マンステール、タミエ、シメイなど表皮を洗うチーズやテット・ド・モワンヌの様な硬質なチーズなど様々あるそうです。


だいちだいち

ということで、今回は中世までのお話を書かせていただきました!たまにチーズ知識の過去の記事から、クイズにして問題を出すので簡単にでもいいので読んでおいておくときっと答えがみつかるかも?!です♪
ではでは、今週も良きチーズライフを♪