こんにちは!第8回目のチーズ知識になります♪

だいちだいち

今回はチーズの文化史中編パート2の中世から近代にかけてのお話だよっ

りゅうじりゅうじ

すごい勉強してるね!!

だいちだいち

流石にテスト受からないとね。。。

りゅうじりゅうじ

だね!Cheese♡Familiesでチーズでわからなければ、だいち君にみんな聞くようになるしね!チーズの質問コーナー作ろう!

だいちだいち

そうだねっ!わかんなければ調べればいい(笑)では、お話いってみよう!!




中世から近代へ

中世も中頃になると、ヨーロッパ各地でチーズの生産が活発になる14世紀、オランダでは干拓地の開発が進み酪農場が増えると、チーズ造りも盛んになっていった。
各地にチーズの市が立ち、取引されるようなったのもこの頃で、今では観光客相手のショーとして有名なアルクマールのチーズ市は1365年に建設されたという。
市場に出回るチーズは庶民に欠かせない食べ物となっていたが、王侯貴族が食べるチーズとは種類が違ったようです。
王侯貴族が好んで口にしたのは、食感がしなやかで口の中でとろけるようなソフトタイプのチーズだったそうです。
王侯貴族が多く集まるパリでは、イル・ド・フランス地方で造られるブリが水路を通じて運ばれ、貴族の食卓を彩ったそうです。




フランス革命の頃、ブリからカマンベールへ、チーズ製造技術の伝承が行われたという逸話があるそうです。
その当時、特権的な身分であった僧侶たちは革命気運に萌える市民の圧力に耐えかねて他国への亡命を企てました。
その亡命行の途中、匿ってくれた村の農夫にブリの製法を教えて造られたのがカマンベールだといわれているとのことです。
カマンベールはその後、ノルマンディ地方に敷設された鉄道にのってパリまで運ばれるようになり、世界的スターへの道を歩むことになったそうです。
1700年代後半にイギリスから始まった産業革命は、チーズ産業にも変化をもたらしました。
チーズ造りは農家から大規模な工場へと集約していき、大量に製造出来る環境が整えられていったそうです。
農場で働いていた人たちは新しい職を求め都市に流れ、街は活気に満ちていったが、伝統的技術を用いた農家製手作りチーズは徐々にその生産量を減らしていったそうです。
交通の発達が各地のチーズを都市に集中させ、やがて美食家達の目にも留まるようになっていったとのこと。
1825年、フランスの美食家ブリア・サヴァランが記した【味覚の生理学(邦題:美味礼讃】の中で『チーズのないデザートは片目の美女である』という格言を残したそうです。
これはフレッシュチーズチーズに砂糖をかけ、デザートとして食べていたのではないかと思われているそうです。
19世紀、上流階級の食事提供方式に変化が現れました。
それまではフランス式サービスといって、大料理に盛った料理を一度に出して取り分けて食べていましたが、1860年代にロシア式サービスが普及すると、料理の順番が決められチーズはデザートの前に食べることが定着していったとのことです。




だいちだいち

ということで、中編パート2でした!さぁいよいよ、次回はチーズ文化史後編です♪
いつもチーズ知識の更新を楽しみにしていただける方、本当にありがとうございます!
では今週も良きチーズライフを♪